院長ストーリー

幼少期~学生時代

1985年8月5日生まれで4200gの巨大児で生まれてきたそうです。昔から身体を動かすことが好きで、

小学1年生の時に空手を始め、小学3年生には少年野球をやっていました。あまり覚えていませんが、

空手では2回ほど全国大会に出場したことがあります。その後、中学でも野球を続け、

勉強はあまり得意な方ではなかったのですが、人の前に立ってリーダーシップをとることが好きな性格もあり、中学時代は生徒会長をしていました。

その後、高校時代も、野球を続け、目指せ「甲子園」の気持ちで、野球漬けの毎日でした。

高校野球では、人と人との繋がりや、忍耐力、精神力が鍛えられたと思います。そして、色々な経験を共にした大切な仲間が出来ました。

今でも昔話をしながら年に2回はその頃の仲間とお酒を飲みます。

高校野球の3年間は人間的な成長が出来た貴重な時間でした。

初めて、整骨院に感銘を受けたのがこの時期です。

当時ピッチャーだった私は、秋の大会中に、走り込みで右股関節を痛めてしまい、階段を上がることもできない状態になってしまいました。大会まであと1週間と迫り、近所の整骨院行ったが全く良くならずに、ダメもとで監督の勧める評判のスポーツ専門の整骨院に車で1時間以上かけて、3回程続けて通いました。

痛かった股関節は嘘のように、日に日に症状もよくなり、驚くことに大会当日は痛みがなく試合に臨めたのです。

その時受けた感動と先生への感謝の気持ちは今でも忘れられません。

治療家を目指したきっかけ

高校卒業後はスポーツトレーナーの学校へ進学しました。その後、トレーナーの専門学校を卒業後は佐野市と足利市のスポーツクラブで3年間勤務しました。

当時は、アスリートや健康な方へのパフォーマンス向上のための運動指導がしたいと思っていました。しかし、スポーツクラブに就職すると、逆に健康な方よりも、何かケガや、病気、痛みで悩む人がほとんどで、そういった方々の改善プログラムを作成することが多くなっていきました。そこで世の中には身体の不調で悩んでいる方が山のようにいる事を目の当たりし、自分自身のやりたい事も変化していきました。そして会員さんとの会話の中で、痛みや不調を抱えている方々のお話を聞く事も多くありました。

「もっと膝が痛くなければ旅行に行けるのに」

「何年も腰痛に悩まされているのを解消したい」

「身体が痛いと気持ちも乗らない」

「整骨院に毎日通っているけどさっぱり良くならないよ」

「整形外科での痛み止めの注射はもうやめたい」

このような事を言われる度に、私にできる事を考えアドバイスをするのですが、自分の知識とスキルでは一部のクラインアント様の要望にしか対応することが出来ず、とても悔しい思いをする毎日でした。

そんな日々の中で、一つの決断をしました。

「世の中の身体の痛みで悩まれる方を自分の手で救いたい。そして本当に心からありがとうをもらえるような仕事をしたい!!」

それから私は、自分の道を見つけたような気がして、導かれるようにすぐに治療業界への道へ進む決心をしました。

ハードな修業時代           

その後、大手グループ整骨院に就職し、同時に柔道整復師という国家資格取得のため、都内の学校へ入学しました。修業時代はかなりハードな毎日でした。朝は5時起き、電車で東京へ、昼の12時まで勉強し、佐野に戻り15時~22時まで仕事。23時帰宅の毎日。あの時を振り返ると自分でもよく頑張っていたなと思います。若さって素晴らしいですね(笑)

修業先では、治療の基礎や考え方、また大手グループの整骨院でしたので、接客や対応についても厳しく指導をされました。

 

修業時代は、早く患者様の身体に触れたくて、技術も知識もとにかく勉強をしていました。はじめに患者様に触れることが出来たのが、電気をつける事でした。ドキドキわくわくしながら、電気付けをしたのを今でも覚えています。

 

それから時がたち、実際に患者様の身体に施術を出来るようになると、そう簡単ではなく、壁にぶつかることばかりで、治療に対して試行錯誤を繰り返す毎日でした。

時には、悔しくて涙することもありました。当時は、良くしたいという一心で必死に勉強していたと思います。

今思えばこの時に、沢山の患者様を診させて頂き、悩み勉強したことが今となっては貴重な財産として多く活かされています。

国家試験合格!分院長へ

無事に国家試験にも合格し、そこからすぐに修業先の店舗の院長を任せて頂く事になりました。

当時院長を任されたのは25歳の頃でした。

結果を出して認められたい!!そんな想いを強く持っていた思い出があります。

そしていざ院長として働き始めると、スタッフ教育や、報告作業、事務作業、数字の管理などなど

現場に入れば、とにかくフロアを回さねばと頭をフル回転させて、施術はいつも決まった事をしていたような気がします。

皆スタッフは年上の方ばかりでしたが、仲間に恵まれて任された整骨院も、来院数が1日で30名のだったのが、1年で1日80名近く来院する整骨院になっていました。そこでは2年間ほど働かせていただき、

その後、結果を認めてもらい、地元の佐野店へ異動し、同じく分院長として1年間働きました。

3年間院長を経験し、数字を上げる事やスタッフを育成する事にやりがいは感じていたものの、自分の技術の向上がない事への不満や、患者様に対しての施術方針にも何となく違和感を感じていました。組織だから仕方がないと思ってしごとをしていました。

基本的には保険を中心とした整骨院だったので、保険を使い、10分電気をかけて、10分マッサージして、温めて終わりそのような流れで行っていました。また、保険診療の在り方にも疑問を持つようになりました。

急な退社 人生のターニングポイント

グループ整骨院には8年間勤めていました。いずれは開業したい思いはあったものの、具体的には決められないでいました。

現状の自分自身にも疑問を持ち始め、

「このままでいいのか?」

「これが本当にやりたい事なのか?」

「自分は何のために治療家になったのか?」

そんな事を考えるようになりました。

 

中間管理職だった私は、現場の意見と上司の板挟みになっていて、精神的にもとても疲れていました。

当時体重も本来の体重より10kgくらい痩せてしまっていたと思います。

そして、上司の理不尽な要求についに頭にきて気が付いたらその場で何を言ったかわからないくらいに反論し、「もうついていけません。辞めます」と言っていました。

自分でも不思議なほどすんなりとこの言葉が出てきました。

自分でいうのもなんですが、私を知る人なら嘘でしょ?というくらい私温厚です。

それぐらい自分の中にため込んでいたのかもしれません。

 

でも「辞める」と言ってみたものの、正直何も先の事は決まっていません(汗)

 

その時は妻と1歳になる娘と3人暮らし。普通は辞めませんよね。

辞める事を妻に相談しました。私は、妻が「何言っているの!?もう少し頑張ってみたら」

そんな事を言わるのかもしれないと内心ひやひやしながら、話をしました。

 

でも妻はそんな私に「辞めたらいいよ!そんなにつらい思いして続けなくていいよ!信じているから自分の好きな事をしていてほしい」

そんな事を言ってくれました。その言葉に救われたし、家族を幸せにする決意をしました。

新しいチャレンジへの活力がわいてきました。

今思えば、自分自身の感情が、良い方向に向くためにその結果を引き寄せたのだと思っています。

 

退職後3カ月で開業

とてもその会社で仕事をする気にはなれなかったので、退職を願い出た月に急遽辞めました。

まだ先の話だと思っていた開業が、すぐにでもやらなくてはいけない状況になりました。

でも縛られていた気持ちが解放され、とてもすっきりしていました。そして、自分のモードにスイッチが入ったように行動しました。

これも不思議ですが、条件が良い物件が出てきて、スムーズに事は進みました。そして退職3カ月後には自分の目標の一つであった開業をすることが出来たのです。

この期間はとにかく必死に行動をし続けました。でも、行動し続ければどうにかなるという事も身に染みて分かりました。人生の中でもこの期間の経験は私にっとっては貴重な時間でした。

そして本当にやりたい事だけをしようと思い、根本改善を目的とする自費のみの完全予約制の整骨院を2015年1月にオープンすることが出来ました。

開業時心配はありましたが、開業3カ月で軌道に乗り、4カ月目には当日予約が取れないほどの整骨院になっていました。

 

「操体法」との出会い

開業後も、様々なセミナーや勉強会に参加しています。ある日、衝撃的なDVDと出会います。

それは「理学操体法」というテクニックです。操体法の考えに基づいて理学療法士であるひふみ健康院の加藤寛直先生が、考案した施術方法です。

操体法とは、患者様の気持ち良い方に誘導していくと、身体の筋肉が緩み、痛みが取れるとという方法です。(とても簡易的表現です。)

痛くなく、優しい刺激で身体が変化するのです。患者様にとっても私にとってもどちらも楽になる素晴らしい治療法です。

私はすぐに先生に直接連絡をし、宮城県の古川に学びに行かせていただき、操体法を体感してきました。

直接ご指導いただき、更に加藤寛直先生にも直接お会いし、その寛大さに感銘を受け、それからしばらく古川に通わせて頂き、操体法を学ばせていただきました。

それが今の治療のベースになっています。

私の世界観が変わった瞬間

一人経営者は孤独です。自分次第で生活が左右されます。自分のしたい事だけをしようと思い開業はしたものの、そこには、将来の事、生活やお金の事、仕事の事、この先大丈夫か?などいろんな不安が常に存在します。

開業して2年が経過した頃、経営も安定して少しあぐらをかいていました。患者様にきてもらう事が当たり前になり、施術をする事が仕事の一部となってしまったのです。

以前は楽しかったはずの治療が、治すための治療、お金をいただく為の治療に変化し、施術をする事の楽しさを感じなくなってしまいました。そうすると、自然と離れていく患者様も増えていきました。

自分でもどうしたらよいか分からなくなってしまい、日々治療について、経営について、将来について悩んでいました。

考えているだけで何もしていない自分がいました。そんな自分も苦痛でした。

それでも、患者様は私の施術を求めてきてくれたのです。

このままじゃいけない!!来院くださる方々の為にも、まずは初心にかえり、自分自身の技術を振り返ろうと思い、私が行っている操体法を改めて勉強しました。そんな時、ネットで「多次元操体法」と文字に強く引き付けられたのです。「幸せになる整体」「生きるのが楽になる整体」というキャッチフレーズに、どんな整体のなのか?ちょっと怪しい気もするな?

でも何か自分を見つけるヒントがある気がしてならなかったのです。内容を読むと全国からたくさんの先生が学びに来ていて、更には先生の患者様の喜びの声を見ると本当に「幸せになった」「人生が好転した」という感想が多数あるのです。

更に興味がわき、私自身の体で感じてみたいと思い、直接創案者の仙台やすらぎの杜整体院 上川名修先生に連絡をし、基礎講座を開催していることをしり、申し込みをさせて頂きました。

そして実際に上川名先生とお会いしして、その健康観や、にじみ出るオーラ、包み込むような優しさに触れて、今までにない感銘を受ける事になりました。

そして、本当に上川名修先生との出会いが私の人生を変えてくれました。私に身体の本質を教えてくださいました。

そしてなにより私自身の生きる道筋が見えてきたのです。

「幸せになる整体」「生きるのが楽になる整体」は存在したのです。そんな夢みたいな整体を私は体験してきました。

そして、自身に起きた変化や、実感を私も沢山の人に伝えていきたい。

 

それまでの私の健康観も生き方も180度変わったような感じです。

整体のセッションを行うことで自分自身を見つめなおすことが出来るのです。そして自分自身と対話して自分を大切にするようになると、いろんな答えを自分自身が教えてくれるようになります。自分の本当にやりたい事や、考えが明確になります。

自然と迷いがなくなり、明確なビジョンが見えてきます。

私の場合は身体の変化はもちろん、思考の変化が起きたのです。

この考えを、追求し世の中の方々に伝えていこう!そう決心しました。

「身体」「心」「魂」の繋がりを実際に体験できた事が私の中にある内なる存在を目覚めさせてくれたような感じです。

大切な家族の存在

仕事もクライアント様も大切ですが、全ては家族と自分の幸せのために私は仕事をしています。

家族がいるから、生きがいをもって仕事が出来るし、

家族がいるから、クライアント様と本気で向き合えると思っています。

妻、子供達にはいつも支えてもらって生きている事を感じています。

どんなに辛いことがあっても子供たちの笑顔を見ると辛い気持ちも吹っ飛びます。

これからも家族には感謝をして、一生懸命自分の使命を果たしていこうと思います。

最後に...

今回私の今までを振り返り、プロフィールを書かせていただいていると、色々な事があり、沢山の方々に支えられて今があるのだという事を改めて実感します。家族、友人、ご指導くださった先生方、仕事の仲間、セミナーでお会いした先生方、クライアント様、いつも本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。

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